近所の駐車場は野良猫達の溜まり場になっていて、だいたい2〜3匹がのさっ〜と寝そべってるか、まわりのおばさんがくれるエサをはんでいたりする。何年か前まではボスキャラ(♂)がまだオカマになっていなかったので、春には仔猫が何匹か増えていた。最近はオカマになってしまったので、仔猫にはとんとお目に掛かることはない。
昔、よく使った銀座の駐車場にも同じように猫がいた。
大抵、夜も遅い時間に利用していたのだが、成猫が5匹かそこらは常に在住していたようだった。冬は車の熱で暖がとれたり、雨の日は雨宿りをするのに都合がよかったのかもしれない。春には仔猫が同じように10匹近く生まれ、それが本当に愛らしくて、毎回彼らに逢うのが楽しみだった。私はそこ利用する車に無邪気に走り回る仔猫たちがひかれやしないかとハラハラし、時には“みどりのおばさん”のように「すいません、猫いるのでちょっと気をつけてもらえますか〜」なんてやっていたこともある。自分では運転できないので、運転手である相棒にももちろん毎回注意を促していた。相棒はとても猫になんて興味はなさげで、私が毎度地べたにしゃがみ込んで猫を眺めている様を手持ち無沙汰に待たされてる風だったし、車内で「ちいちゃかったねぇ」とか「かわいいけど家には連れてゆけないし」などと言っても、ただ面倒臭そうに相槌を打っているだけだと思っていた。
しばらくして、仔猫たちも少し大きくなり、生まれた頃のように全員揃って母猫と一緒に駐車場にいることも減った頃、私達がそこに行く所用も終わりとなった。いつものように駐車場に車をとめ、いつものビルの、いつもの部屋で、いつもと同じように用事をこなしていた最後の日、ふいに相棒はそこにいた人達に仔猫の話をはじめた。そして「仔猫たちにもう逢う事がないと思うと淋しい」とか「来年もまた仔猫がうまれるのかな」というようなことだった。
不意打ちを喰らった。そんなこともうとっくに忘れていて、気にも掛けていないと思っていたので、突然降ってきた仔猫たちの話題に、この時ばかりは私の方がただ相槌を打つことしかできなかった。もともと観点が普通とズレている人だったので、今日はソコが一番大切なポイントではないだろう…とも思ったが、ともすれば記憶の断片の塵となって消え去ってしまう仔猫たちのことを覚えていてくれたことがとても嬉しかった。
彼らはその後、都会の真ん中で生き延びて、
何匹もの仔たちの親猫になったのだろうか。
それとも…
近所の駐車場にたむろする猫達の姿を見て、ふとそんな記憶の断片の塵となりうる出来事を思い出した。その相棒とはもう逢う事はないし、その駐車場に行く機会もないが、駐車場にいる猫たちを見るたびに思い出すことはまたあるかもしれない。
posted by みし at 19:18| 東京 🌁|
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