思い出せる範囲で嫌いだと感じた最初の記憶は幼稚園の時だった。
転園して新入生だった私はその時はじめて大勢の他人の前で自己紹介をしなさいと先生に言わ自分の名前を名乗った。すると先生は「声が小さい。もう一度」と静かに言った。
その時から自分の名前が嫌いになった。
中学にあがる頃にはこの大嫌いな名前がさらに嫌いになっていた。
叔母たちがこの頃バタバタと嫁にいったことで気づいたのだが、結婚すれば最も嫌いな姓だけでもとりあえず抹消できる。ならば早く大人になってこの姓から逃れたい…と。学校を卒業した頃には姓でよばれる事が少なかったからかそんなことはすっかり忘れていたが、相変わらず姓も名も嫌いなことには変わりなかった。
上京してから新しい環境になったせいもあって、再び姓で呼ばれる機会が増えた。折しも女性同士でも姓を呼び捨てにするのが流行り、自分だけでなく結構まわりの友人も下の名前で呼び合うことは少なくなかったから表立って嫌だと公言できず、心の底で嫌悪感を抱きながら日々を過ごし、またここで「結婚すれば姓が変わるんだ。だから早く結婚したい」などという不埒な考えが常に頭の片隅に漂っていた。
仕事が忙しくなってあれよあれよという間に歳月が流れ、表面上は忘れていたが、ここ数年なにかと自分の名前を書く機会があったり、郵便だと見過ごしてしまう宛名もメールとなると嫌が応でも目にする機会も増え、最近また自分の名前を見ると嫌悪感が満ち溢れる。
姓も名も嫌いなのだから救いようがない。
幸いなことにネットの上では自分の都合のよいハンドルネームというものを使うことができるので、少しだけ名前に対する嫌悪感から解放されているのかもしれない。
結婚という人生の大イベントを物心がついた頃からそんな風に軽んじていた罰があたったのかもしれないが、今もって苗字が変わる気配はない。
そして、今日も私は自分の名前に嫌悪感を抱きながら息をしている。